親は子どもに許してもらうことで自分の親を許すことができる

「親は自らの子に許してもらう」
5月に結婚式を挙げる遠く離れて住む息子から
otto宛にLINEが届いた。
”携帯の名義変更の書類送ったから。保険の名義変更の件も。”と。
ottoが成人してからもずっと家族割で息子の携帯代を払い続け、また息子名義の保険にも加入していたので、この度やっと独立する機会を得たという訳です。
また少し、前へ、遠くへ。息子の姿が離れていくのを思い浮かべただけで、なんだか切なくて鼻の奥がツンとしてしまいます。
(ottoもお金の援助で心を繋ぎとめていたでしょうから、随分と寂しいでしょうねえ・笑)
そんな時にふと目にした
三砂ちずるさんの「おせっかい宣言」 第66回「親を許す」
にハッとしました。
2020.01.23更新
親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。自らの子どもに許されること。なぜなら、わたしたちは、親になると、まちがうから。不可避的に、まちがうから。自らが良かれ、と思って、子どもたちにできるだけのことをしようとするけれど、その多くは子どもたちの向かう方向性とは、異なっているから。結果として、何をやっても、やっぱり何かしら、間違っていることが多いのだ。自分としては、いっしょうけんめいやったんだけどなあ、と、親としてのわたしたちは、ぼんやり思うことができるだけだ。わたしたちはまちがう。まちがうから、子どもたちに、許されなければならない。許されていて欲しい。それは、祈りのようなものだ。
自らの子どもに許されることで、自らも、自分の親を許すことができるようになる。自分の親も、自分の親のその時の制限の中で、精一杯のことをやったのだろうから、と認められるようになる。「無償の愛は、親から子どもに与えるものではない。無償の愛は、子どもから親に届けるもの」。聞き間違い、書き間違いではない。無償の愛とは、子どもの側から親に捧げられるべきもの。・・・・中略
https://www.mishimaga.com/books/osekkai/001904.html
このコラムを読んで、
今からずいぶん昔の光景をふと思い出しました。
当時20歳頃の息子は、何をやってもうまくいかずに自信を失い迷走し続け、家族とも距離を置いていました。心理カウンセリングにも足を運んだりもしました。
母親であった私は自分の子育ての中で、どれほど彼を傷つけ否定し続ける言葉を浴びせてきたかに思い至り、
また
今これほどの自己否定をさせてしまっているのは、自分の子育てのまずさや失敗に晒された結果だ・・と思い詰めていました。
そんな私が取った行動が
息子に「許しを乞う」ということでした。
思う存分傷つけておきながら、過去のしくじりを許してほしいとは、なんとも都合のいい話だな・・とも思いましたが、自分自身の過ちを謝りたい一心だったのです。
謝ったところで彼が被った過去の心の傷をなくすことはできないし、傷つけてしまった私が修復してあげることもできない。
そんなジレンマを感じながら。
過去のあれこれに対して「ごめんね」という母親の私に息子は、
「そんなことあったっけ?」
と、さらりと流して終わりました。
真意は掴みかねますが、
この時私は、息子の無償の愛に包まれて癒されたのだと
今は思えるのです。

無償の愛は子どもから親へ届けるべきもの
自らの子どもに許されることで、自らも、自分の親を許すことができるようになる。自分の親も、自分の親のその時の制限の中で、精一杯のことをやったのだろうから、と認められるようになる。
これは道理(物事がそうあるべき道すじ)なのだと感じます。
そしてこれは実際に子どもが居るいない、子育ての経験がある無いにかかわらず、
誰かから生まれてきた全ての人たちが
自分の中にいる子どもから無償の愛を受け取ることができる、
ということなのだと思います。
子どもの自分が、親である自分を許すことによって(自愛)
自分は生きていて良い存在なのだと肯定できる、
その結果
自分が生まれてきた親たちをも許すことができる・・
ということなのですね。
この道理は私たちに生きる勇気を与えてくれます。
ニッチもさっちもいかないグルグル巻きの親子関係に苛まれている人にも、
辛い記憶から離れられない人にも、
きっと届くはずです。
ご紹介した三砂さんの「親を許す」は
オックスフォード大学でマイケルジャクソン氏が語った講演内容を元に書かれていらっしゃいます。
三砂さんがご紹介くださったこちらのYou Tubeも是非ご覧くださいね。
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