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手のぬくもりと植物&発酵の力は黄金パワー
2018-07-20

子を育てて思うこと。人はみな傷を癒しながら生きている

ブログを書き始めて丁度10年。いくつか書く場を替えながら、気の向くまま続けています。前々から気になっていたけれど、「今日は今まで書いてきた複数のサイトを整理整頓しよう・・」と思い立って取りかかったのが長男の誕生日の日。10年の間に書かれた、自分を含む家族四人へのつれづれは、いい話やなぁと我ながらしみじみするものもあれば、あまりにも自分勝手で未熟さのにじみ出るものもあり・・。そのまま残してアップするものと、さすがにもうお蔵入りのものなどを選別して整理しました。

そんな作業をする中で感じたことは、子どもを育てるということは、親という立場の一人の人間が、自分の過去に受けた傷を癒すために子と関わる時間なんだろうということ。それはある意味とても身勝手な行為で、時に子を傷つけ苦しめる・・。親によって大なり小なり傷つけられる経験を持ちながら大人になっていくという流れが、人間の魂に綿々と繋がって今ここに居るということ。だからこそ、何年もかけてその傷を癒していくことを人生で求められているのかもしれないなぁ・・と。

そして長男誕生日のこの日の夜。
同居しているにも関わらず、ここ数年は家でごはんを食べることを避けている彼が、たまたまたくさん作ったビフカツがあるので誘ったら一緒に食卓を囲みました。何年かぶりの3人の語らいで、彼も私たち親から傷つけられたのだと自分の口から話してくれました。これってすごいことなのかもしれません。学校卒業後さまよい迷いながらアルバイトで過ごし、混沌とした心のままゴミ部屋で過ごすことで安心感を得ている彼にとっては、何より自分の変化に弾みが付く小さなキッカケになるのかもしれないので。

今は東北の現場で働く、アルバイトの友達から話を聞いて、「金いっぱい貰えるから日雇い(作業員)になろうかと思ってる・・」と、長男。真意を掴みかねるその発言を、「そうなんや」と受け容れ聞き流し。

子の成長過程で今まで感じていた、こんなことがこの子には向いているんじゃないか?とか
そのためにはこんな提案がいいかもしれない・・なんて思いは、自分勝手な妄想に過ぎないこと、

その妄想はその親の価値観の範囲内であり、そんなちっぽけな世界はその個人のものでしかないってこと。親が子どもに育ててもらっているんじゃないか。ちっぽけな価値観を微笑みながら見守ってくれている。そんなことも思い知らされ、腑に落ちた気がします。

そして
私自身も自分の傷を癒す旅の途中のヒーラーだということも。

時に窮屈でいがみあったり、はたまた安らいだりする夫婦や家族というものは、それぞれ傷ついたヒーラー同士が共鳴するユニットなのですね。互いが選び選ばれた伴走者・・・・神秘的です。子と25年過ごして浮かんで来た、様々なコト。[2015.7.25]

この記事を書いてから早5年が経ちました。今日は離れて暮らす息子の誕生日に朝一で「おめでとう」のLINEを送りました。時空を超えて繋がる親子という不思議な絆。みんな旅の途中のヒーラー、傷を癒す人々。

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