ある日の夕食は、そうめんかぼちゃを使って。

ウリ科の果菜の季節がやってきましたね~。旬にワクワク、どれを食べても「美味しいなぁ〜」ってしみじみします。今朝食べた小玉スイカも瑞々しくて甘くて、もう最高でした!

さて、今日はそうめんかぼちゃですよ。

「ぉぉ・・気持ちええのぉ~~」と、お釈迦様が横になっていらっしゃるような堂々とした出で立ちでございます。手のひらには収まらない大きさ、立派です。ずっしりと重い実は、包丁の入れ方も、しっかりと気を入れてから切って下さいよ。ものすごく固いです。そして包丁を入れると、ピキピキって割れていくのが気持ちいいです・笑。輪切りにして茹で、水に離して実をほぐすと糸状になる、ちょっと個性的なかぼちゃ。これがシャリっと歯ごたえのいいので、サラダやおひたしで食べます。おひたしは作り置きしておけるので便利です。

玄米ごはんを食べる時のおかずは、豚肉の生姜焼きなどのこってり系ではなく、断然、野菜のお総菜が合いますね。しっかりと噛んでいただくので旨味を十分に感じながらおいしくいただけます。

こんな感じ。

●そうめんかぼちゃのおひたし
●ピーマンの旨煮
●キムチとごま油の冷や奴
●玉ねぎ&仙台麩のカツオだしのお味噌汁

食前に、
赤ワインと生ハム・ドライナッツを頂いてからの、ごはんです。

時間のたっぷりある日は、ゆったりと、静かに満足感のある幸せの黄昏時もいいもんです♪

夏の土用には、梅干しの天日干しをする!

夏の土用に入りました!夏の土用は7/20から立秋の前日までの18日間。一年中で最も暑い時期です。わが家のこの時期の恒例行事といえば・・これです♪
天気予報ではこれから当分晴れマークだったので、紫蘇漬けにしていた梅たちをこれから3日間、甲羅干しします。強い日射しを浴びるからこそ、醸し出される旨味。天日干しは欠かせません。

ひっそりと漬け込まれていた甕のふたを開けると、久々の爽やかな香り!ワクワクします。手でそっと取り出してみると、梅たちも心なしか気持ち良さそうです♪私も気持ちいい〜!

 

取り出した漬け梅をお日様の下で広げる作業は毎年のように続けているけれど、あぁ・・私はこの作業が好きだから梅干しを作っているんだな・・って思った。な~んにも考えない無心の時間は、本当に清々しくって、自分の中の何かがリセットされているようで体と脳が喜んでいるんでしょうね。
きっとバランスが取れて気持ちいいから、好んで選びしていることなのかもしれないな・・・
そんなことをふと感じた、今年の土用干し。

今年の暑さはまた一段と厳しいですが、夏といえば梅干しが本当に心強いアイテムです!含まれるクエン酸は疲労回復に役立つし、汗で失った塩分の補給にも持ってこい。この季節には欠かせません。そういえば、夏になると、映画「火垂るの墓」で、焼け野原になった自宅の穴から梅干しの入ったピンを取り出して、一個つまみ食いするシーンを思い出します。かの大戦の終戦日(1945/8/15)からもうすぐ73年。遠い遠い歴史上の出来事のように感じてしまっているけれど、まだ100年すら経っていないんですね。蝉の大合唱もますます賑やか。

 

子を育てて思うこと。人はみな傷を癒しながら生きている

ブログを書き始めて丁度10年。いくつか書く場を替えながら、気の向くまま続けています。前々から気になっていたけれど、「今日は今まで書いてきた複数のサイトを整理整頓しよう・・」と思い立って取りかかったのが長男の誕生日の日。10年の間に書かれた、自分を含む家族四人へのつれづれは、いい話やなぁと我ながらしみじみするものもあれば、あまりにも自分勝手で未熟さのにじみ出るものもあり・・。そのまま残してアップするものと、さすがにもうお蔵入りのものなどを選別して整理しました。

そんな作業をする中で感じたことは、子どもを育てるということは、親という立場の一人の人間が、自分の過去に受けた傷を癒すために子と関わる時間なんだろうということ。それはある意味とても身勝手な行為で、時に子を傷つけ苦しめる・・。親によって大なり小なり傷つけられる経験を持ちながら大人になっていくという流れが、人間の魂に綿々と繋がって今ここに居るということ。だからこそ、何年もかけてその傷を癒していくことを人生で求められているのかもしれないなぁ・・と。

そして長男誕生日のこの日の夜。
同居しているにも関わらず、ここ数年は家でごはんを食べることを避けている彼が、たまたまたくさん作ったビフカツがあるので誘ったら一緒に食卓を囲みました。何年かぶりの3人の語らいで、彼も私たち親から傷つけられたのだと自分の口から話してくれました。これってすごいことなのかもしれません。学校卒業後さまよい迷いながらアルバイトで過ごし、混沌とした心のままゴミ部屋で過ごすことで安心感を得ている彼にとっては、何より自分の変化に弾みが付く小さなキッカケになるのかもしれないので。

今は東北の現場で働く、アルバイトの友達から話を聞いて、「金いっぱい貰えるから日雇い(作業員)になろうかと思ってる・・」と、長男。真意を掴みかねるその発言を、「そうなんや」と受け容れ聞き流し。

子の成長過程で今まで感じていた、こんなことがこの子には向いているんじゃないか?とか
そのためにはこんな提案がいいかもしれない・・なんて思いは、自分勝手な妄想に過ぎないこと、

その妄想はその親の価値観の範囲内であり、そんなちっぽけな世界はその個人のものでしかないってこと。親が子どもに育ててもらっているんじゃないか。ちっぽけな価値観を微笑みながら見守ってくれている。そんなことも思い知らされ、腑に落ちた気がします。

そして
私自身も自分の傷を癒す旅の途中のヒーラーだということも。

時に窮屈でいがみあったり、はたまた安らいだりする夫婦や家族というものは、それぞれ傷ついたヒーラー同士が共鳴するユニットなのですね。互いが選び選ばれた伴走者・・・・神秘的です。子と25年過ごして浮かんで来た、様々なコト。[2015.7.25]

この記事を書いてから早5年が経ちました。今日は離れて暮らす息子の誕生日に朝一で「おめでとう」のLINEを送りました。時空を超えて繋がる親子という不思議な絆。みんな旅の途中のヒーラー、傷を癒す人々。