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2020-03-07

「優しい人なんだなぁ〜」と私の女性性が受取った三輪山登拝

夫婦で奈良の三輪山に登拝して、ちょうど1ヶ月が経ちました。

Amana Lotus中井みどりです。

身体は50歳まで危機にさらされている

数年前、お亡くなりになる少し前に講演でお話を伺った、

安保徹先生は開口一番

「50歳まで生きられたということは凄いことなんですよ」

と仰いました。

人の寿命の流れの中では、身体が曝される危機というものがいくつもあるのだと。それを乗り越えて中継点の50歳まで生きられたなら、

カラダ的に人生の一山を超えたということなのでしょう。

そして

50歳という年齢は体が次のステップに切り替わる年齢だ、ともおっしゃっていました。

伺った当初はとても意外でしたが、

東洋の知恵「黄帝内経」にある、節目年齢での身体変化を眺めてみると

生殖期は大変なエネルギーを使い、負担を伴うということがわかります。

●女性は7の倍数で変化・・

28歳 女性として体が最も充実する

35歳 容姿の衰えが見え始める

☆顔がやつれ始め、髪も抜けやすくなる。

(肌のケア、髪のケアも入念に。婦人科系トラブルにも注意しましょう)

42歳 白髪が目立ち始める

☆顔にシワが目立つ。心身の不調が起こりやすくなる。

(血行をよくする、体を冷やさない対策をとりましょう)

49歳 閉経。子を授かることが難しくなる。

☆閉経前後の不定愁訴が起こりやすくなる。

(ストレスケア、ゆったり過ごす工夫を。生活習慣病にも注意しましょう)

●男性は8の倍数で変化・・

32歳 男性として体が最も充実する

40歳 衰えが見え始める

☆抜け毛、歯のトラブルが起こりやすくなる。(髪のケア、歯のケアも入念に)

48歳 白髪が目立つ

☆顔にシワがより、白髪が増えやすくなる。疲れが抜けにくくなる

(体の変わり目だと心得ましょう)

〈養命酒HPより〉

様々な試練や変化に翻弄されても自然治癒力があったからこそ、めでたく50歳という節目を迎えることができて、今を生きている。

本当にすごいことだなぁ・・。

昨年、ある方から

「ものすごくご先祖さまに守られているね」と言われました。

50代のいまの今まで、大病をしたことも大変な危機にも曝されることなく過ごすことができているのも、

見えないけれど「ある」ものに護っていただいているからなんだ・・

と強く思い出し、お詣りしようという気持ちが沸々と湧き始めました。

そうなると

不思議なことに、どんどんご縁のある土地に神社に呼ばれるようです・笑

お詣りがもたらしてくれた「大切な柔らかさ」や「心のゆとり」

三輪山を御神体とする大神神社も、その一つです。

三輪山に一人で登拝しようと思いました。

でも、待てよ。

2020年はottoの早期退職や新居購入、息子の結婚など、大きなイヴェントが身近に迫ってくることを考えると、

ここはいっちょ夫婦で参拝するのがいいのではないか・・

という思いがよぎりました。

ottoとは趣味が全く合わないし、お出かけの誘いをしても全て拒否されてきたし、ましてや神社参拝などお正月のイベントとしか考えていないので、期待はせずに誘ってみました。

「三輪山、一緒にお参りする?」

するとあっさり、

「うん、そうやな。神頼みでも一応しとこかな」

と。

ottoも人生の節目や大きなイヴェントに不安を少なからず感じていたのでしょうね。

今日読んだ星野さんのコラムとottoの心模様が重なりました。

中略

科学的に未知なものが確かな助けになりうるという点では、信仰もあてはまるような気がします。僕は去年の今頃のこの連載でも書きましたが、新年にはやや遠くに参拝に行きます。元々、信心深さはまるでない人間だったはずなのですが、今や毎年決まった好きな宿に泊まり、いくつかの神社に参拝をしています。きっかけは、ある人に「あなたは猿田彦神社が合っていると思うから行ってみたらどう?」と言われたことでした。それまで、困った時以外に神社に行くようなことはしませんでした。「困った時の神頼み」のみ、都合よくしていたのです。でも、その人に言われるがままに行ってみることにして、行くからにはどんな神様なのか気になるので古事記の簡単なものを読み、河合隼雄やユングを想起したりなどしているうちに、信仰の起因となる非科学的なものを感じられるような気になってきました。それは恐らく、気とか神様などのような、はっきりと捉えることはでき切らない「ない」ようで「ある」ものです。
 参拝に行ったり、厄払いをしたりなどの行いをしていると、なんとなくですが安心した気持ちになります。全てのことを神頼みに任せるつもりはないし、お参りしたからといって何もかもがうまく転がるとも思っていないのですが、自分の人生をここちよくしていくための、ほんの少しだけの味方を得たような気持ちになることは確かです。つまり、数ミリくらいだけれど、「〜〜をしたから大丈夫だろう」などの形で他力本願が許されるような気持ちになり、孤独な気分が少なくなるということです。これはきっと様々な場面で、意識できないほどではあるけど大切な柔らかさとか余裕をもたらしているような気がしています。僕のようにオーソドックスな参拝をする人も、独特なおまじないやルーティンを持つ人も意味合いは同じだと思います。今年行った神社の神主さんも「日本人は、神社でお参りをしながらお寺に行って念仏を唱えたりして無宗教だと言われます。でも、信仰心があるということ自体が大切なので決して無宗教ではないと思っています」と言っていました。これには強く同意したい気持ちになりました。

『「ない」ようで「ある」星野概念』

お茶の花がひっそりと 

立春をすぎた初午(はつうま)の2/9に初登拝しました。

多くの方々が登られていました。

グループでお一人で。

そしてご夫婦での参拝が多いことに驚きました。

老いも若きも。様々な世代のパートナーシップのカタチを拝見しました。

女性がストックを持って登り、それを持って助けてもらいながら上がっている男性の姿だったり、

急な登り坂を一段一段、休み休み上がる女性を少し上段から待つ、男性の眼差しだったり。

なんだかわからないけれど、パートナーシップのエネルギーのようなものに共鳴しているような感覚で、私自身が静かな柔らかさで満たされていたような気がします。

途中休憩を気遣ったりしてくれながら、私の前を登るottoの背中をぼんやり眺めながら一歩一歩ついていくうちに、

ふと

「優しい人だなぁ」って言葉が浮かんできて、涙が溢れてきました。

きっと私の魂の深いところが悦んでいたからなのでしょう。

これは純粋な、真の悦びですね。

頂上の磐座にお詣りする頃にはチラチラと細かい雪が舞っていましたが、

時折日差しと青空が見え隠れして

「ようお参り」と言っていただけたようです。

こうしてお山でパートナーシップが私のバランスを整えてくれることとなり、

心はとっても穏やかなハッピーで満たされたようです。

帰りに三輪にゅうめんで遅いランチをして、八百屋さんで奈良漬けを買って帰りました。

神様とご先祖様の見えないけれど見護られている安心感をそれぞれ感じて家路につく50代夫婦。

2020年3月の今、

大きな波を乗り越えながら二人の新しい生活を築いている最中です。

新居探しのデートもまだまだ続行中です。

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