ここちよく解放する瞬間があってもいい

月曜日コラムは
【子育てから観た風景】をお届け。
もう大人になってしまった子どもたちと過ごした暮らしの風景から感じたことを、また手繰り寄せて綴っています。今を幸せに生きるためのひとしずくのエッセンスです。

人は大人になるうちに、いつしか子どもの時の伸び伸びしていた感覚を忘れてしまうけれど、”そうだったよ”って思い出すこともしたいなぁと思ったりしました。

娘が16歳の頃の年末掃除の時に感じたこと。人は5年前のことって案外新鮮に記憶に残っているものなのですね。
でも、今から8年前に書き記したこのブログ、全く記憶に残っていませんでした。
人の脳は5年以上前の記憶は徐々にデトックスしていってるのですね・笑。

ここちよく解放する瞬間があってもいい

一年の汚れをほんの少しだけ、頑張って落としています。
今年もあと僅かですね。

古布かごの中を覗いたら、
掃除用に切り取ったジーンズの切れ端を発見。

そうそう、
シンク周りや水道栓あたりの掃除用に・・って
切っておいてたものでした。

デニム地と重曹で、水回りもさほど力を入れなくたって、
ピカピカになるんですよ♪

KC4200370001.jpg

使いやすい大きさにチョキチョキしていたら、

あぁ・・そうだった。

これは娘っこが小学生の頃に履いていたジーンズだったよ・・
と、ふと思い出しました。

擦り切れていたり、穴が開いていたり・・・。

ほんの5年ほど前のことなのに、
もうあどけない子どもの姿やしぐさには会えないのね・・と思うと、
なんだかちょぴりさみしくもあるのでした。

自分の小学生のころは随分遠く昔になってしまったので
子どもだったころの感覚は、もうすっかりと忘れてしまって思い出せないのだけれど、

あのバタバタと落ち着かない感覚とか、
疲れて泥のように眠りこける心地よさとか、


子ども独特の発するエネルギーみたいなものを
私も親として間近で体感させてもらって、

5年前だとまだ鮮明に覚えているものなんだなぁと感じます。

人はいつしか大人になって、
そんな自由気ままの心地よさを自重しながら生きているけれど、

うわ~~~っとか、

ふわ~~っとか。

子どものころにしていたみたいに解放する瞬間が
あってもいいんじゃないかなぁ

って思うんですよ。

今年の梅しごとは、新しいおうちで。

こんにちは。大変ご無沙汰しております。

5月末、新居に引っ越して、絶賛片付け中の
Amana Lotus中井みどりです。

キッチン周りが少し片付いた昨日、大分の梅農園さんから注文していた梅が届きました。

その前日に宅急便のお兄さんから電話があり、

「あの〜、家が見当たらないのですが・・」

あちゃ〜〜!!

注文する際にお届け先が変わることをお知らせしていたのに〜〜。

以前の住所のところへ送られていたようです。

で、1日遅れで到着した箱を開けてみると、可哀想に傷んでしまっているものもあり。ちょっと手を加えることが必要のようです。

いい香りの漂うお部屋には、まだダンボールあり・笑

この子たちは梅ぼしになります〜

今年は

梅干しと完熟梅酒を作る予定でしたが、新たに加工品に初挑戦です。

当たって傷みがひどいかった梅たちは、
梅味噌と梅醤油に。

今年の梅加工には、HAKKOUSHAさんの「発酵の塩」をブレンドした塩を使いました。すべての発酵の場である水を、菌たちが最も心地よく活動できる状態にしてくれるスゴイお塩!
梅味噌にも醤油にもパラパラと加えてみました♪

さあ、どんな味に仕上がるのかとっても楽しみです。

・・・

今年の梅しごとは引越ししたばかりの新居で。

夫婦二人の生活がスタートしました。

手を動かしながらあれこれ去来する思いがありました。

思えば、

繰り返し繰り返し続けてきた梅しごとは、ある年は子どもたちにも手伝ってもらいましたっけ。
旧いアルバムにそう云えば娘の写真があったなぁ・・。

思い出して探してみると、ありました!

もう20年前のものでした。

子どもたちは巣立ち、ひっそりとした新しい空間で、
20年歳を重ねて今ここでしている梅しごと。

過去の子育てのシーンも、あっけなく忘れてしまっていることに気づき、なんだかとても切ない気持ちになってしまいましたが、

人が老いてゆく波と記憶のかけらを混ぜ合わせながら、

今年もうちの食と健康を支えてくれる梅しごとができた悦びと安心感を味わったのでした。

女性のためのプライベートサロンAmana Lotusは
ただいま移転準備のため休業中です
7月半ばを目指して絶賛準備しております!
今しばらくお待ちくださいね♡

2020.4.1〜

もう少し梅雨時期が続きますね。
みなさま、良き1日を♪

完熟南高梅酒 〜

親は子どもに許してもらうことで自分の親を許すことができる

「親は自らの子に許してもらう」

5月に結婚式を挙げる遠く離れて住む息子から

otto宛にLINEが届いた。

”携帯の名義変更の書類送ったから。保険の名義変更の件も。”と。

ottoが成人してからもずっと家族割で息子の携帯代を払い続け、また息子名義の保険にも加入していたので、この度やっと独立する機会を得たという訳です。

また少し、前へ、遠くへ。息子の姿が離れていくのを思い浮かべただけで、なんだか切なくて鼻の奥がツンとしてしまいます。

(ottoもお金の援助で心を繋ぎとめていたでしょうから、随分と寂しいでしょうねえ・笑)

そんな時にふと目にした

三砂ちずるさんの「おせっかい宣言」 第66回「親を許す」

にハッとしました。

2020.01.23更新

 親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。自らの子どもに許されること。なぜなら、わたしたちは、親になると、まちがうから。不可避的に、まちがうから。自らが良かれ、と思って、子どもたちにできるだけのことをしようとするけれど、その多くは子どもたちの向かう方向性とは、異なっているから。結果として、何をやっても、やっぱり何かしら、間違っていることが多いのだ。自分としては、いっしょうけんめいやったんだけどなあ、と、親としてのわたしたちは、ぼんやり思うことができるだけだ。わたしたちはまちがう。まちがうから、子どもたちに、許されなければならない。許されていて欲しい。それは、祈りのようなものだ。
 自らの子どもに許されることで、自らも、自分の親を許すことができるようになる。自分の親も、自分の親のその時の制限の中で、精一杯のことをやったのだろうから、と認められるようになる。「無償の愛は、親から子どもに与えるものではない。無償の愛は、子どもから親に届けるもの」。聞き間違い、書き間違いではない。無償の愛とは、子どもの側から親に捧げられるべきもの。

・・・・中略

https://www.mishimaga.com/books/osekkai/001904.html

このコラムを読んで、

今からずいぶん昔の光景をふと思い出しました。

当時20歳頃の息子は、何をやってもうまくいかずに自信を失い迷走し続け、家族とも距離を置いていました。心理カウンセリングにも足を運んだりもしました。

母親であった私は自分の子育ての中で、どれほど彼を傷つけ否定し続ける言葉を浴びせてきたかに思い至り、

また

今これほどの自己否定をさせてしまっているのは、自分の子育てのまずさや失敗に晒された結果だ・・と思い詰めていました。

そんな私が取った行動が

息子に「許しを乞う」ということでした。

思う存分傷つけておきながら、過去のしくじりを許してほしいとは、なんとも都合のいい話だな・・とも思いましたが、自分自身の過ちを謝りたい一心だったのです。

謝ったところで彼が被った過去の心の傷をなくすことはできないし、傷つけてしまった私が修復してあげることもできない。

そんなジレンマを感じながら。

過去のあれこれに対して「ごめんね」という母親の私に息子は、

「そんなことあったっけ?」

と、さらりと流して終わりました。

真意は掴みかねますが、

この時私は、息子の無償の愛に包まれて癒されたのだと

今は思えるのです。

無償の愛は子どもから親へ届けるべきもの

自らの子どもに許されることで、自らも、自分の親を許すことができるようになる。自分の親も、自分の親のその時の制限の中で、精一杯のことをやったのだろうから、と認められるようになる。

これは道理(物事がそうあるべき道すじ)なのだと感じます。

そしてこれは実際に子どもが居るいない、子育ての経験がある無いにかかわらず、

誰かから生まれてきた全ての人たちが

自分の中にいる子どもから無償の愛を受け取ることができる、

ということなのだと思います。

子どもの自分が、親である自分を許すことによって(自愛)

自分は生きていて良い存在なのだと肯定できる、

その結果

自分が生まれてきた親たちをも許すことができる・・

ということなのですね。

この道理は私たちに生きる勇気を与えてくれます。

ニッチもさっちもいかないグルグル巻きの親子関係に苛まれている人にも、

辛い記憶から離れられない人にも、

きっと届くはずです。

ご紹介した三砂さんの「親を許す」は

オックスフォード大学でマイケルジャクソン氏が語った講演内容を元に書かれていらっしゃいます。

三砂さんがご紹介くださったこちらのYou Tubeも是非ご覧くださいね。

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