古道具の足踏みミシンが、うちの家具になった日。

48年間前に夫婦二人で開店して以来、ずっとオシドリでやってきた実家の店舗が

とうとうピリオドを打ちました。

業者さんによる数日間の解体で、ぽっかりできた空間で掃除機をかける、

老夫婦。

この日で断捨離が終了しました。

これまでの経緯は、こちらから

http://amanalotus.info/2019/05/20/懐かし昭和小物たち/

私が小学生の頃に開業し、高校生まで店舗の2階に家族4人で暮らしていました。

使われなくなった高度経済成長時代の暮らしの道具たちを

掃除に行くたびに、いくつかの小物はオブジェとして持ち帰り済みでしたが、

大物が1つ最後に残っていたので、この度それを持ち帰ってきました。

足踏み式ミシンです!

母が結婚するときに

郷里で購入して持ってきたものだそうで、かれこれ60年前のもののようです。

もう何十年も使われておらず、革のベルトも腐食して切れてしまっていましたが、

台として再利用したいとずっと思っていました。

中のミシンは頑丈で重く、全体の重量もかなりあります。

引き出しの中身を出して、埃まみれのボディの雑巾がけです。

中の引き出しには錆びたボビンケースや埃まみれの糸、試し縫いした布。

そしてこんなものや、

別の模様編み機のチラシやら。この編み機もうちにありましたっけ。

チラシの裏には、購入したのであろうお店の名前と住所がスタンプされていました。

54歳で亡くなった義母と私の母は同い歳。

そして同じ県内の近いところで生まれ育ち、編み物が得意でした。

これを購入した頃、

若き義母が近くで過ごしていたのであろう情景を思い巡らせると、

時空を超えて不思議な感覚になります。

そして今、こうしてうちにやって来た、

ちょうどTV台にぴったりの足踏みミシン。

TV大好きなottoのために、義母の魂も一緒にやって来たような感覚になった、

その日は義母の命日。

そこに存在するだけで、泣けてきたのは、そういうことだったのかな・・

人の縁、使っていた「モノ」の発しているエネルギーを感じた日。

古道具が、

「今」の暮らしに寄り添ってくれている、家具として生まれ変わった瞬間。