タッチングの深いところにある普遍性に思いを馳せる

慈しみたい
優しくしたい

自分に。
他人に。

ひとはみな、
深いところでそう感じているのだろう。

自分で自分に、
どうしてあげればいいのか分からなくなっている時に、

他人から受けたタッチによって
涙の浄化が起こることもある。

そんな流れのなかで最後に、
相手から感謝の念を伝えられた時に、

タッチした側は、

感謝されたな、
良かったな、
嬉しいな・・

そんな肯定的な?自己満足的な?受け止め方をすることに、
セラピストとして関わっていた私が何となく違和感を感じていた時に出会った、亀井氏の「菩薩への考察」は、
本当にずっしりと私の中にしみ込んできました。

慈悲とはなんなのでしょうか?
あまりにも捉えどころの無い壮大なものに
すこしでも想いを馳せる一端になるかもしれません。

中宮寺のご本尊 菩薩半迦像についての朝日新聞のコラムで触れられていた、
亀井勝一郎「大和古寺風物詩」の中の一節です。

菩薩は一切衆生をあわれみ救わなければならぬ。だがこの自意識が実に危険なのだ。もし慈悲と救いをあからさまに意識し、おまえたちをあわれみ導いてやるぞといった思いが微塵でもあったならばどうか。表情はたちまち誇示的になるか説教的になるか、さもなくば媚態と化すであろう。

天狗になる・・
上から目線・・
押しつけ・・

自意識がもたらすであろうモノたちがチラチラと頭をかすめます。

肌のタッチングを直接行うセラピストは手を通して伝わってしまうので、ドキリとしてしまいます。

子育てしかり、
仕事、様々な人間関係のシーンでも当てはまることなのかもしれません。

そういえば河合隼雄先生も何かの著書の中で、
相手がよろこんで、こちらも「うまくいった」と喜んでいたらそのセッションは失敗・・
みたいなことをおっしゃっていましたっけ。

河合先生も日々菩薩の心でクライアントさんと向き合っていらっしゃったのですね。

ちなみに
数ある仏像のなかでもこの中宮寺の半迦思惟像は
心惹かれるものの一つです。

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おうちにあった サライ2008 19号 より

慈悲深さや本来の優しさとは、
あまりにも素っ気なくさらりとしているのに、
なぜか深く染み入るもの・・なのかもしれない。

菩薩様を眺めながら、
そんなことを思いました。

さらに、ちなみに・笑。

この「大和古寺風物詩」はもう何十年もの前の高校時代、
国語の感想文の課題図書でした。

ほとんど忘れられた高校時代の時間なのに、古びた記憶としてずっと残っている本。
内容も全く記憶にないし、読み返すことは一度もなかったのだけれど、
大人になった今、気づかせて貰えることも多々ある名著なのでしょう。

おとなの夏休みの一冊にいいかもね♡

そして秋の遠足で奈良を訪れる・・
というのもいいなぁ~~。

そうだ!奈良へ行こう。

中宮寺の御本尊に会いにゆこう♪

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