ミニマムに暮らす

考えること、行動することがうまく回らなくなってくるうちに、気分が停滞気味になってきたな・・と感じ始めている暮らしの空間は、ものがごちゃごちゃと散らかっていて、必要なものがあるべきところに無くて、それを探すのに時間を使ってイライラして。と、何もかもが引っかかってしまうような閉塞感を感じてしまいます。あぁ・時間がもったいない!外のエネルギーと内側のエネルギーがうまく連動して流れている時って、不思議と家の中もスッキリとしているんですよね。水まわりを掃除している時は、静かに脳が整理されるからとっても気持ちよくて、水栓をピカピカにするのは日課になってきました(笑。やっぱり不必要なものを持たないスッキリとした暮らし、水回りの清潔さって見えないエネルギーだけれど整えるとスッキリする、何か違うわね・・と感じる今日この頃に出会った文章がドンピシャリで、とっても興味深いです。

三黙道場:言葉を発してはいけない三つの堂舎

曹洞宗の修行道場「三黙道場」とは僧堂=座禅・食事・睡眠をおこなう場所、浴司=お風呂、東司=手洗い、の三つです。

三黙道場に共通するのは「水」です。水は命の基本であり、それが住まいの中で循環する場所が「食堂」「お風呂」「手洗い」ということになります。水は私たちの身体に入って循環し、出て行ってまた自然に還る。そういう命の流れを意識する場所だから、特別に綺麗にして修行するのですね。

修行生活中の僧侶は、驚くほど小さな空間で寝起きし、必要最低限のものしか持ちません。ですから、修行僧の部屋は非常にシンプルで、限られた持ち物についても、すべて置き場所が決まっています。「あるべきものが、あるべきところに、あるべきようにして、ある」のです。

わたしたちは普段、ものを使うときに出して、使い終わったら元の場所に戻す、という簡単なことがなかなかできません。それはものの扱いが粗雑になっていると同時に、心も粗雑になっているからです。

光明寺僧侶 松本紹圭さんの言葉

「無意識の整え方 身体も心も運命もなぜかうまく動き出す30の習慣」前野隆司 著より

 

簡単なことなのになかなかできないこと。ここに普遍的なメッセージが見え隠れしているのでしょう。「天才バカボン」や「クマのプーさん」みたいに。そこからメッセージを探しながら汲み取りながら気づいていくことが、人生での楽しみでもあり生きる醍醐味なのかもしれません。そのためのヒントがミニマムに暮らす・・ということなのかもしれません。

触れて触れられて。心と体をほぐしていく

心細かったり、不安だったりする時に、柔らかで、温かなものに触れたり、触れられていたり。ただそれだけで、安心できることがあります。ゆったりと息ができるようになってくる。そうしてまた、日常に戻って行ける。そんな連続を私たちは繰り返しながらバランスをとっているのだと思います。
こどものころにそれができなかったのなら、今、すればいい。オトナになると、迷惑になるんじゃないかとか、嫌われたらどうしようとか。体裁を気にしてしまいがちなのだけれど。でも自分の気持ちを認める素直さが必要だと突きつけられる瞬間がやってくることもあります。
安心感に包まれる心地よさを甘受していいんじゃないの。こわばったハートの蕾を、少しずつほぐしていってもいいんじゃないの。

『皮膚は「心」を持っていた!』

だってね。体は正直に反応しているんですもの。臨床発達心理士の山口創先生の著書「皮膚は心を持っていた!〜第二の脳とも言われる皮膚がストレスを消す」の中で紹介されています。ほとんどの哺乳類の皮膚に存在する「C触覚線維」には、ゆっくりとしたタッチに反応して愛情や嫌悪感などの感情を喚起させる働きがあり、自律神経と副交感神経のバランスをよくするために、特に体の部位でいうと前腕へのゆっくりとしたタッチが緊張を和らげる効果があるとのデータがあるとのこと。そしてもう一つ。別名「絆ホルモン」オキシトシンには安らぎ感・幸福感をもたらす作用があり、スキンシップ開始から5〜10分で分泌し始めるとのこと。ゆっくりじっくり触れることが大切なんですね。オキシトシンが分泌することにより、血圧が下がる、ストレスホルモンが減る、リラックスする、痛みが治まる、傷の治りが早まる、眠くなる、筋肉が若返る!・・などの作用が発揮されるようです。

体ってすごい。自ら癒そうとするメカニズムが出来上がっているのですね。そんな癒しのメカニズムを、自分の頑なな心の鎧で断ち切ろうとしてはあまりにももったいない!!気持ちよく過ごして良いんだよと自分に許しを与えてあげることが、とってもとっても大切ですね。

予定のない雨の日、あえて外へ出かけてみる

梅雨の過ごし方。お家で静かに過ごすのもマッタリ感がたまりませんが、今回はあえて雨の中に出かけてみるのも楽しいよ、というお話です。

仕事ならいざ知らず、何の目的もないのに雨の日にブラブラと外に出かけるってあまりしないことです。でもある時期、別の考えがふと湧いてきました。というより苦肉の策・・と言った方が良いかもしれません。もう二十数年も前のことですが。

「息が詰まりそう〜」

一人目の子どもがハイハイの時期の頃、転勤族の夫ともに見知らぬ土地に引っ越しました。もちろん土地勘ゼロ、知り合いゼロ。乳飲み子抱えた専業主婦でした。男の子は成長とともに体力もついて動きが激しくなってくるので、雨降りが続き家の中に居続けると、ますますヒートアップして狭い空間は異常な空気感に。大人のどんより澱んだ感と子の発散できないエネルギーが出口なくグルグル回っている感じです。「これはあかん、しんどすぎる!」とふと思いついたのが雨の日のお散歩です。

 

 

 

 

 

 

 

レインハットにレインコート、長靴、全て赤色で揃えていました。何だかその子にとっても似合っていてね、テーマカラーみたいで。そんなのを身につけるだけでテンション上がりますよね。お気に入りのレイングッズを選ぶのって大事です!

雨は水なのです。濡れるものなのです。泥水がかかれば汚れるのです。このことをよ〜く納得して、心おだやかに楽しむ気持ちを調えながら、帰宅後の準備をしておいて(玄関に体を拭くタオルやマットを用意しておくとかね)、さあ出発です。

子どもって水たまりが大好き。わざと入ってパシャパシャしたい。入ったら最後、どんどんエスカレートして堪能しきります。泥んこ遊びに発展していきます。まあその時間を親も楽しく共有するというのも一つです。田舎で過ごしていたので人と行き交うことも少ない道がたくさんあったので、お散歩ルートを探す楽しみもありました。ブラブラ歩きはいろんな発見がありますよね。

知らないうちに気持ちがリセットされる

道々で出会う色とりどりのお花たちは雨の雫でますます活き活きと美しく発色して。ハッとする出会いの多いこと。紫陽花や優しい白色のどくだみの花。

 

 

 

 

 

 

 

 

ニョキッとキノコも濡れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、アマガエルと目が合ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周りで繰り広げられている自然の営みの中に身を置いていると、どんどん五感がクリアになっていくのがわかります。ふと感じたものに気持ちを集めていくうちに、自分の中で渦巻いていたものす〜っと抜けていってるからかもしれません。気持ちをリセットしよう!なんて気負わなくても知らないうちに肩の力が抜けていく感じ。すごいなぁ〜自然って。こんな助っ人が自分を取り巻いてくれているのですね。

新しい出会いや発見があって、すっかり心も軽くさあおうちに帰ろう。冷えた身体と泥はねの足をあったかいシャワーで洗ってあげよう。きっと穏やかなお家タイムが待っているはず。

おまけのレイングッズ

先日、ふらりと入った靴屋さんで目に留まった長靴。igorの茶色のショート丈。前々から新調したかったのではいてみるとピッタリ♪長靴ってそれほど履くものではないから傷まないのですが流石に20年経つと経年劣化もありまして。即買いしました。子どもたちと過ごした思い出の詰まった長靴と別れるのは切なさを伴ったけれど、また新しいモードの生活の始まりです。雨の日が待ち遠しいです。