“命はうしろへ退くことはなく いつまでも昨日のところに うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。”|子育ての終止符

今日は娘の学校の卒業式。

そして4月から社会人として一人暮らしが始まります。

女性のココロとカラダのクレンジングをサポートする
ほとめきサロン♡AmanaLotus(アマナロータス)、
BIO-STEAM、チネイザン&アロマセラピストの中井みどりです。
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いよいよ子育ても終了。小鳥も自身で羽ばたく時の到来です。

思えば、母と子の蜜月の区切りが初めてやって来たのは、娘が幼稚園に入学する時でした。

それまでは朝から寝るまで、どこへ行くのも何をするのも一緒でしたから、心配と不安と淋しさで、母はちょっぴりセンチメンタルになっておりました。

そんな気持ちに区切りをつけたくで、入園式を控えた3月末のある日の10時のおやつ時間にセレモニーをしました。

娘と私の2人っきりのお茶会です。

ティーマットを敷いて、ポットで丁寧に淹れた紅茶とお菓子。ゆっくりと静かに楽しみました。

もう私の元から少しずつ離れていくんだな。これからその距離はどんどん広がっていくんだな。

その時から気持ちを整理し、少しずつ私の子離れも始まっていたのでしょう。

そして今日の卒業式が子離れの一応のピリオドです。

子育て時代から折に触れて目にしていた、カリール・ジブラン「預言者」の中の詩を今一度味わいたいと思います。

子どもについて 

赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。 
どうぞ子どもたちの話をしてください。 
それで彼は言った。 

あなたがたの子どもたちは 
あなたがたのものではない。 
彼らはいのちそのものの 
あこがれの息子や娘である。 

彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども 
あなたがたから生じたものではない、 
彼らはあなたがたと共にあるけれども 
あなたがたの所有物ではない。 

あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、 
あなたがたの考えを与えることはできない、 
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。 

あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが 
彼らの魂を宿すことはできない、 
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、 
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。 

あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、 
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。 
なぜなら命はうしろへ退くことはなく 
いつまでも昨日のところに 
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。 

あなたがたは弓のようなもの、 
その弓からあなたがたの子どもたちは 
生きた矢のように射られて、前へ放たれる。 
射る者は永遠の道の上に的をみさだめて 
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ 
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。 

射る者の手によって 
身をしなわせられるのをよろこびなさい。 
射る者はとび行く矢を愛するののと同じように 
じっとしている弓をも愛しているのだから。 

『ハリール・ジブラーンの詩』 
    神谷美恵子・訳より 

飛びゆく矢に幸あれ♡

我が家は2月から今日まで、怒涛のようにイベントが重なり流れて来ました。母としての仕事もマックス!

娘の入院手術、病院と自宅の往復の日々。

退院後は食事管理に気を使い日々の生活に戻り。

北海道一泊旅行から帰ってすぐ、娘の新居へ引越しと片付けで自宅との往復。

そして卒業式当日の早朝から着付けとセットに付き添い、荷物を持ち帰ると、どっと疲れました。

でも女の子ならではの華やかな忙しさ。楽しかったです。

母親業、終了。そんな心地いい疲れを癒すために、母は1人しみじみとBIOスチームに入るのでした。

酵母菌のパワーと野草のサポートで程よく蒸されて温まると、猛烈に眠気がやって来て、お昼ご飯も食べずに眠り、元気が回復しました。

なんたって時代はもう新しい流れが始まっていますからね。

自分を愛し、自分を癒し、元気に自分のこれからの仕事をしていくのです。

ちょっぴり名残惜しい気持ちも残しつつ・・・。

子を育てて思うこと。人はみな傷を癒しながら生きている

ブログを書き始めて丁度10年。いくつか書く場を替えながら、気の向くまま続けています。前々から気になっていたけれど、「今日は今まで書いてきた複数のサイトを整理整頓しよう・・」と思い立って取りかかったのが長男の誕生日の日。10年の間に書かれた、自分を含む家族四人へのつれづれは、いい話やなぁと我ながらしみじみするものもあれば、あまりにも自分勝手で未熟さのにじみ出るものもあり・・。そのまま残してアップするものと、さすがにもうお蔵入りのものなどを選別して整理しました。

そんな作業をする中で感じたことは、子どもを育てるということは、親という立場の一人の人間が、自分の過去に受けた傷を癒すために子と関わる時間なんだろうということ。それはある意味とても身勝手な行為で、時に子を傷つけ苦しめる・・。親によって大なり小なり傷つけられる経験を持ちながら大人になっていくという流れが、人間の魂に綿々と繋がって今ここに居るということ。だからこそ、何年もかけてその傷を癒していくことを人生で求められているのかもしれないなぁ・・と。

そして長男誕生日のこの日の夜。
同居しているにも関わらず、ここ数年は家でごはんを食べることを避けている彼が、たまたまたくさん作ったビフカツがあるので誘ったら一緒に食卓を囲みました。何年かぶりの3人の語らいで、彼も私たち親から傷つけられたのだと自分の口から話してくれました。これってすごいことなのかもしれません。学校卒業後さまよい迷いながらアルバイトで過ごし、混沌とした心のままゴミ部屋で過ごすことで安心感を得ている彼にとっては、何より自分の変化に弾みが付く小さなキッカケになるのかもしれないので。

今は東北の現場で働く、アルバイトの友達から話を聞いて、「金いっぱい貰えるから日雇い(作業員)になろうかと思ってる・・」と、長男。真意を掴みかねるその発言を、「そうなんや」と受け容れ聞き流し。

子の成長過程で今まで感じていた、こんなことがこの子には向いているんじゃないか?とか
そのためにはこんな提案がいいかもしれない・・なんて思いは、自分勝手な妄想に過ぎないこと、

その妄想はその親の価値観の範囲内であり、そんなちっぽけな世界はその個人のものでしかないってこと。親が子どもに育ててもらっているんじゃないか。ちっぽけな価値観を微笑みながら見守ってくれている。そんなことも思い知らされ、腑に落ちた気がします。

そして
私自身も自分の傷を癒す旅の途中のヒーラーだということも。

時に窮屈でいがみあったり、はたまた安らいだりする夫婦や家族というものは、それぞれ傷ついたヒーラー同士が共鳴するユニットなのですね。互いが選び選ばれた伴走者・・・・神秘的です。子と25年過ごして浮かんで来た、様々なコト。[2015.7.25]

この記事を書いてから早5年が経ちました。今日は離れて暮らす息子の誕生日に朝一で「おめでとう」のLINEを送りました。時空を超えて繋がる親子という不思議な絆。みんな旅の途中のヒーラー、傷を癒す人々。

予定のない雨の日、あえて外へ出かけてみる

梅雨の過ごし方。お家で静かに過ごすのもマッタリ感がたまりませんが、今回はあえて雨の中に出かけてみるのも楽しいよ、というお話です。

仕事ならいざ知らず、何の目的もないのに雨の日にブラブラと外に出かけるってあまりしないことです。でもある時期、別の考えがふと湧いてきました。というより苦肉の策・・と言った方が良いかもしれません。もう二十数年も前のことですが。

「息が詰まりそう〜」

一人目の子どもがハイハイの時期の頃、転勤族の夫ともに見知らぬ土地に引っ越しました。もちろん土地勘ゼロ、知り合いゼロ。乳飲み子抱えた専業主婦でした。男の子は成長とともに体力もついて動きが激しくなってくるので、雨降りが続き家の中に居続けると、ますますヒートアップして狭い空間は異常な空気感に。大人のどんより澱んだ感と子の発散できないエネルギーが出口なくグルグル回っている感じです。「これはあかん、しんどすぎる!」とふと思いついたのが雨の日のお散歩です。

 

 

 

 

 

 

 

レインハットにレインコート、長靴、全て赤色で揃えていました。何だかその子にとっても似合っていてね、テーマカラーみたいで。そんなのを身につけるだけでテンション上がりますよね。お気に入りのレイングッズを選ぶのって大事です!

雨は水なのです。濡れるものなのです。泥水がかかれば汚れるのです。このことをよ〜く納得して、心おだやかに楽しむ気持ちを調えながら、帰宅後の準備をしておいて(玄関に体を拭くタオルやマットを用意しておくとかね)、さあ出発です。

子どもって水たまりが大好き。わざと入ってパシャパシャしたい。入ったら最後、どんどんエスカレートして堪能しきります。泥んこ遊びに発展していきます。まあその時間を親も楽しく共有するというのも一つです。田舎で過ごしていたので人と行き交うことも少ない道がたくさんあったので、お散歩ルートを探す楽しみもありました。ブラブラ歩きはいろんな発見がありますよね。

知らないうちに気持ちがリセットされる

道々で出会う色とりどりのお花たちは雨の雫でますます活き活きと美しく発色して。ハッとする出会いの多いこと。紫陽花や優しい白色のどくだみの花。

 

 

 

 

 

 

 

 

ニョキッとキノコも濡れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、アマガエルと目が合ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周りで繰り広げられている自然の営みの中に身を置いていると、どんどん五感がクリアになっていくのがわかります。ふと感じたものに気持ちを集めていくうちに、自分の中で渦巻いていたものす〜っと抜けていってるからかもしれません。気持ちをリセットしよう!なんて気負わなくても知らないうちに肩の力が抜けていく感じ。すごいなぁ〜自然って。こんな助っ人が自分を取り巻いてくれているのですね。

新しい出会いや発見があって、すっかり心も軽くさあおうちに帰ろう。冷えた身体と泥はねの足をあったかいシャワーで洗ってあげよう。きっと穏やかなお家タイムが待っているはず。

おまけのレイングッズ

先日、ふらりと入った靴屋さんで目に留まった長靴。igorの茶色のショート丈。前々から新調したかったのではいてみるとピッタリ♪長靴ってそれほど履くものではないから傷まないのですが流石に20年経つと経年劣化もありまして。即買いしました。子どもたちと過ごした思い出の詰まった長靴と別れるのは切なさを伴ったけれど、また新しいモードの生活の始まりです。雨の日が待ち遠しいです。